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マルキ・ド・サドの遺言

マルキ・ド・サド(Marquis de Sade)(1740-1814)
正式名:ドナスィヤン・アルフォーンス・フランスワ・ド・サド
フランス革命期の侯爵、作家
サディズムの語源として広く知られるが、サド自身はサディストであると同時に、自らサディズム行為の対象となることもあった

●主な著作
『美徳の不幸』
『ジュスティーヌ(美徳の不幸)』
『アリーヌとヴァルクール(哲学小説)』
『閨房哲学』
『新ジュスティーヌ(美徳の不幸)』
『ジュリエットの物語(悪徳の栄え)』
『恋の罪』
『悲惨物語』
『ソドム百二十日(淫蕩学校)』
『司祭と臨終の男との対話』

著作の多くは獄中で書かれ、自己の境遇や現状から生じた反社会性と、満たされない性的欲求をエネルギーとしていたといわれる。

●略歴
1763年(23歳)
  5月 王家の許可を得て、ルネ・ぺラジー・コルディエ・ド・ローネーと結婚
 10月 サドの最初のスキャンダル、ジャンヌテスタル事件
     ヴァンセンヌの獄に収容される
 11月 エショフールにとどまることを条件に、釈放される
1768年(28歳)
  4月 アルクイユ事件
     ソーミュールの城に拘留
     ソーミュールからピエール・アンシーズ要塞に移される
  6月 パリのコンシェルジェリー監獄に移される
     ピエール・アンシーズ要塞に移される
1772(32歳)
  6月 マルセイユ事件
 12月 シャンベリーにて逮捕
     サヴォワ州のミオラン要塞に送られる
1773(33歳)
  4月 ミオラン要塞より脱走
1175(35歳)
     少女スキャンダル
1777(37歳)
  2月 逮捕され、ヴァンセンヌの牢獄に連行
1778(38歳)
  7月 罰金を科せられ、3年間マルセイユを追放される
     前日の判決にもかかわらず、再びヴァンセンヌに送られることに 
     ヴァランスに滞在中、逃亡
  8月 ラ・コストにて逮捕される
  9月 ヴァンセンヌの牢獄に収容され、11年間の拘留の始まり
 12月 紙とインクの差し入れを許可
1784(44歳)
  2月 バスティーユに移される
1789(49歳)
  7月 シャラトン精神病院に送られる
     フランス革命勃発
1790(50歳)
  4月 釈放
1791(51歳)
     「美徳の不幸」が匿名で出版、サドの初出版となる
1793(53歳)
 12月 反革命のマテュラン街の自宅にて逮捕
     マドロネット修道院に監禁される
1794(54歳)
  1月 レ・カルム僧院に送られる
     サン・ラザール監獄に送られる
  3月 病気を理由に、ピクピュス療養所に移され死刑判決を免れる
 10月 過激派の失脚後、釈放
1801(61歳)
  3月 「新ジュスティーヌ」を出版したマッセ書店が警察の捜査を受け逮捕される
  4月 サント・ペラジーの牢獄に送られる
1803(63歳)
  3月 ビセートル獄に移される
  4月 シェラントン・サン・モーリス精神病院に移される
1806(66歳)
  1月 遺言状をしたためる
1814(74歳)
 12月 死去
     シェラントンの墓地に埋葬される
     家族は、サドの霊を恥じて墓石には名前すら彫られなかった

●遺言
 「私は人類の精神から自分の記憶が消し去られることを望む」

しかし、後世の人間は、マルキ・ド・サドの遺言とは正反対に、サド(もしくはその作品)をカルト・フィギュアにまつりあげ、暴力を正当化するカルト的思想を形成し、それを社会学的サディズムという。
現在しばしば使われるSやMは、どちらも社会学的サディズムに属するもので、精神医学上のサディズムやマゾヒズムのことではない。
※精神医学上のサディズムは、DVにおける加害者の心理などの犯罪心理を指し、同マゾヒズムは、それに対する共依存症のことをいう。

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