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武士道 -日本人の超自我-

そもそも、現在知られている武士道は、1899年、新渡戸稲蔵が英文で著したもので、それ以前に体系的にまとめられた経典のようなものがあったわけではない。
 武士道とは、武士いかに生きるべきかということであるが、江戸時代の読本や歌舞伎、浄瑠璃などを通して大衆化し、日本人全体の理想とする生き方、あこがれの精神となったものである。
 つまり、武士道とは日本人共通の「超自我」ということができる。
 大和魂という場合、武士道を政治的に、特に戦争などの際に国民を心理的に誘導するために用いた言葉として区別して考えなければならない。
武士道の徳目

 武士が最も重視するのは「義」である。
 「義」は公のものであり、武士は主君に仕えるというよりは、主君の「義」に仕えるから、それを「奉公」といい、「義」に仕えるのが「忠」である。
 主君が「義」に反すれば、それを正すのも「忠」であり、これは主従関係が、支配と隷属の関係ではないことを意味している。
 儒教での徳目とされる「孝」は、私事とされ、武士の徳目には含まれない。

 次に重視されるのは「名」、すなわち家名であり、それを守り高めることが「誉」であり、「誉」と対極にあるのが「恥」である。
 当然、辱めることも辱めを受けることも許されず、その場合、一死をもって「名」を守る。
 また、支配することも隷属することも恥であり、例えば、「義」に反する主君に盲従することは「不忠」とされ、それは「恥」である。

 「勇」は「義」を即断的になすための力であり、一体として存在する。
 「勇」は「義」すなわち正しいことを行うための力であり、「義」の無い「勇」はただの暴力となってしまう。

 「礼」は他人への思いやりで、その人の品格をあらわす。
 その「礼」を具体的にあらわす形式が「礼儀作法」だが、形式だけで心を伴わないものを「虚礼」といい、心の無さが伝わることを「失礼」という。

 「仁」は優しさで、人の上に立つ者には必須の徳目とされる。
 「礼」は他人への思いやりで、その最高の姿が「愛」であるが、「礼」はとかく形式的になり心が見えにくくなることから、「仁」によってそれを補うとされる。
 ちなみに、江戸時代には「愛」という言葉は無く、それは「孝」の一部であり、その関係を「絆」という言葉で表す。

 「誠」は、徳目のひとつであると同時に、すべての徳目を貫くものである。
 図でいえば、各徳目をつなぐ線も誠である。
 つまり、「誠」は武士が武士であるための欠くことのできない徳目とされる。

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