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遊女とは?

古くは『万葉集』に、遊行女婦(うかれめ)の名で書かれている。

中世の遊女は、傀儡女(くぐつめ)白拍子(しらびょうし)傾城(けいせい)上臈(じょうろう)などと呼ばれた。
《傀儡》
9世紀頃から各資料に現れだし、芸能によって生計を営みながら諸国を旅した集団の事である。
特に人形を操っていたとされ、呪術なども行なったといわれる。
《白拍子》
巫女による巫女舞が原点にあったともいわれ、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種およびそれを演ずる芸人。
巫女が布教の旅において舞を披露していく中で、次第に芸能を主としていく遊女へと転化したといわれる。
《傾城》
君主が夢中になって国を滅ぼすほどの美女の意。
《上臈》
最上位に位置する女性の意。

1584年(天正13年)、豊臣秀吉の治世に遊女は都市の一ヶ所に集められ、今の大阪の道頓堀川北岸に最初の遊廓がつくられた。
これ以降、遊郭は悪所と呼ばれ、差別的に扱われるようになったといわれている。

江戸時代になると、女郎(じょろう)や娼妓(しょうぎ)という呼称がある。
江戸時代の「遊女」は一般的な呼称であり、働く場所により名称も異なる。
一般に、遊郭や岡場所などの店に属している者を「女郎」と呼び、歌舞音曲を担当する「芸妓」や「舞妓」まで含めて「娼妓」という。
その他の「遊女」には、湯屋で働く「湯女(ゆな)」、宿場で働く「飯盛女(めしもりおんな)」、路上で客をひく街娼「夜鷹(よたか)」などがあった。
《女郎》
人に使われる身分の低い女の意。
《芸者》
芸者とは、元々は芸妓の古い呼び方である。
江戸では、元々は年季の明けた女郎の一部が身につけた芸で生計を立てたのが始まりとされ、歌舞音曲などの芸事、酒宴の接待などに特化した芸者へと変化する。
廓内でも、女郎は前帯、芸妓は後帯で区別された。
その後、そうした芸妓が深川周辺に集まるようになり、芸は売っても色は売らないことを信条とし「音吉」「蔦吉」「豆奴」など男名前を源氏名とする辰巳芸者へと発展する。
《太夫》
江戸の吉原と対比される京都の嶋原は、「花街」ではあるが遊郭ではない。
嶋原の太夫は高水準の芸が売り物で、体を売らなかったから芸妓であって女郎ではない。
よって、太夫は「花魁」ではないし、嶋原の女性は手形は必要だが、廓からの出入りは自由である。

「遊女」とは、元々は歌舞音曲などの芸で酒宴などの際に場を盛り上げる女性の総称であり、「花街」とは、酒を提供する飲食店が集まる一帯を指し、室町時代、「九条の里」という傾城局が最初の公許された花街といわれる。
豊臣秀吉の治世に、いわゆる娼婦(売春婦)とひとくくりに扱われ、それまで保障されていた行動の自由が制限され、更に、周りは堀に囲まれた「廓」に限られるようになり、その結果として遊女=娼婦というイメージが生まれた。
また、江戸は、様々な理由により男女の人口バランスの偏った都市であったが故に、廓は性風俗に特化した遊郭になったといわれる。

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