FC2ブログ
2017 04123456789101112131415161718192021222324252627282930312017 06

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

エロスとラブ、愛を意味する言葉

紀元前、古代ギリシアの哲学者プラトンは、その著書『饗宴』の中で、「様々な段階がある愛の中で、真・善・美の世界に到達しようとする、最も高次元の愛を(高貴なる)エロスと呼ぶ」とした。
そこでは、愛の段階を「肉体の美」「精神の美」「霊性の美」そして「智恵の美」としている。
「肉体の美」は性的欲求の段階、「精神の美」は所属・愛情欲求の段階、「霊性の美」は承認・尊重欲求の段階であり、これらを総称として欠乏欲求といい、それは、人としての発達段階、すなわち未熟な段階での「欲望」という名の執着であり、そうした執着から解放され、その魂がより高次の成熟した段階へと移行した、理性の情熱による美そのものへの渇望を「智恵の美」とし、それを「エロス」と呼んだのである。
そして、それを「高貴なるエロス」と称する。
「高貴なるエロス」から生まれたものが宗教であり、「高貴なるエロス」へ到達するための道標を道徳や倫理という。
「高貴なるエロス」は誰もが望みながら、誰もが到達できるわけではない。
故に、性への執着に縛られた者たちは「高貴なるエロス」を騙り、それを「大衆向きのエロス」という。
「大衆向きのエロス」の多くは、高い理想を口にしながら、周りの者の足を引っ張って、性欲に縛り付けようとする。
実際の「大衆向きのエロス」は、最も低次元の愛の段階にすら達していない(すなわち、そこに愛は無い)のである。
それを具体的な言葉としたのが「性交」を意味する「メイク・ラブ」である。
また、本来の「プラトニック・ラブ」は「高貴なるエロス」のことであるが、キリスト教において、強制的に性への執着から解放させようとして使われたのが、「純潔主義」を意味する「プラトニック・ラブ」なのである。
ちなみに、日本人は、古来より性に関して寛容であり、抑圧されない分、比較的早い段階で性への執着から解放されてきたが、明治以降の西洋化に伴い、極端に性を抑圧したために、逆に性への執着が強くなったといわれる。
そして、戦後の日本では、明治以来の性の抑圧と、アメリカ的な性を解放が同時に存在し、行き場を見失った性への執着が暴走を始め、現在は、その暴走がピークにあるともいわれる。

コメント


コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://hodashigaryubaku.blog34.fc2.com/tb.php/216-ac921ac5
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。